あるコミュニティの繁栄と衰退、そしてその再生に関する言語化

 

「変化とは、こうやって起こる。一人、そして二人が最初に変わり、それが三人になり、五人、一〇人に増えてコミュニティが変容する。その兆しがわずかだが確かに見えてきた。」

 

ブレイディみかこの、ミクロとマクロを行き来するダイナミックな視点移動と言葉に突き動かされて、昨年よりコミュニティ政策を市民コミュニティ視点から見つめる研究を、学士論文として継続してきた。そして、1月末の論文提出、2月頭の論文報告をもって、一連の調査研究を終えた。

研究事例としてピックアップした市民コミュニティは、先代の多くの研究者もその魅力を認め、複数の社会学論文で研究対象とされてきたものである。90年代に発足し、多様な人材を巻き込みながら地域特有の課題に取り組んできた事実は、コミュニティ研究におけるひとつのロールモデルと言える。近年は、自分と同様に学部生の卒論研究でも取り上げられることが多く、「11月からは学生の見学者が増える」という。

 

地域社会の変容と、ダイナミックな活動展開

横道清孝が『日本における最近のコミュニティ政策』[2009]において指摘したように、現代はコミュニティ政策における第3期に位置付けられ、その「自治的機能」への期待値の高まりと、その育成に向けた議論が展開されている。

自身が研究過程の中で複数回に渡って入り込んだそのコミュニティは、周辺の地域社会の課題を定義し、その解決に向けた施策を連続的に実施してきたという点で、早期から自治的機能を有するものへと発展していた。関連組織や人材を巻き込みながら、地域を巻き込み続けるそのダイナミズムは、多くの研究者や専門家を惹きつけてきた。

 

枠組みとしての「知識創造の場」

市民コミュニティの成長に注目する上で、野中郁次郎他[1998]が提唱した「知識創造の場」は、非常に良い枠組みとなるように思う。

 

 

野中らは、知識を「暗黙知」と「形式知」に分類した上で、言語化やその伝達が困難な前者を後者へと変換していく、スパイラル状のプロセスが地域の発展に強く影響するとし、シリコンバレーやニューヨーク・ソーホ地域、日本の大田区などを例に挙げている。

上記の4つの場の中でも、市民コミュニティという環境において準備されにくいのは、IT化の遅れなどからも、圧倒的に右下の「サイバー場」であるだろう。対話を通して形式化された知識群から、さらに新たな形式知を構築する機能を持つ環境を、「サイバー場」を代替するものとしてコミュニティ環境で保有する必要性が指摘される。

 

「ゆるさ」の強み

先行して10年以上の参与観察を継続しているとある研究者は、そのコミュニティは「組織じゃない」と言い切っていた。その理由は、コミュニティとしてメンバーに課すルールの「ゆるさ」であり、それは柔軟で流動的な形態という強みにも繋がっていた。段階的に設定された会員種別と会費規定はあるものの、種別間での地位、発言力の差はなく、「寄り合い」的な月次のディスカッションは、「共感場」「対話場」として知識変換の環境として大いに機能していた。

 

ロールモデルの光と影

これまでに綴ったような、市民コミュニティとしての「繁栄」は、もはや過去のものとなりつつあるのかもしれない。

 

研究プロセスの中で、コミュニティのメンバーへの複数回に渡るインタビューを実施した。その中で繰り返し口にされた「老化」「高齢化」「鈍くなった」というワードは、アカデミズムで盛んに取り上げられる栄光の、影の部分を表しているように思え、研究終了後もモヤっとしたものとして残ってきた。地域に繰り出して歩いで実施する調査活動やイベントは打ち切りが相次ぎ、その担い手の高齢化は「動きの鈍さ」として表面化している。積極的なメンバー募集を行って来なかったこともあり、若手メンバーも少なく、中長期的な活動の方向性は見えて来ない。「研究者はうちを研究対象としか見ず、地域や団体をどうするかという点では議論をしない」という言葉には、言葉以上の重みがあるように感じる。

 

コミュニティ再生という視点

日本におけるコミュニティ政策は、高度経済成長やそれに伴う都市化の進行を経て、結果として生じた旧来のコミュニティの崩壊への対応策として本格化した。町内会の環境変化とNPOなどの多様な市民組織の台頭を前提として、現代における地域社会のコミュニティへのまなざしは形成された。

コミュニティの再生に関しては、主に二つの方向性を定義した上で議論が必要である。古いコミュニティを壊して新たなものを生むか、旧来のものが持つリソースを活用して、議論を通してその価値を再定義するか。自治的コミュニティの先駆けとして、またそのロールモデルとして名を馳せた市民コミュニティは、その「若さ」と「フットワーク」に頼ってきた従来の活動を経て、再生に向けた転換期に直面しているように思う。