小さな世界のものがたり

クラクフの小さなホテルで出会った、「小さな世界」が忘れられない。

ビビッドな赤色に塗られたバスがワルシャワから向かったのは、ポーランドの古都・クラクフ。ヴェヴェル城を中心とした美しい街並みを抜けて向かった小さなホテルは、ユダヤ人街のちょうど真ん中ほどに立っており、向かいにはサーカス小屋のような角形のマーケットが広がっていた。

らせん状の階段の途中には色とりどりの木彫りの鳥が並び、不思議な観葉植物が日を浴びている。磨り減った床に時折目を向けながら進むと、突き当たりに小さな客室が見えてくる。ベッドと小さな机の並ぶ空間の中で、それは言葉にできない存在感を纏っていたように思う。スタッフが「Owner’s favorite.(オーナーの趣味)」だという置物と、なんども読まれた跡のある本が、小ぶりの棚に並ぶ様子は、妙な秩序と思想を感じさせる独特の「世界」として、今でもふと思い出すことがある優しい記憶だ。

ポーランド・クラクフにて

小さな世界の、雄大な景色

盆栽の良さを尋ねる時、多くの人が共通して口にするのが、そこに見出される「小さな世界」の存在。小さな器の中で松や苔といった素材を独自に並べたそれは見る人にとっての「景色」であり、形容するならば「雄大」なのだと。多数の銀河が壮大な宇宙の中に散在する様子を、海上に散らばる島々にたとえて「島宇宙」と表現することがあるが、棚に並べられたいくつかの盆栽たちも、各々が完全に独立し、空気すらも共有し得ない「島」のようなものなのかもしれない。

スケールダウンという行為

世界(というと社会科学の世界で怒られそうだが、ここでは先進国も、途上国も含めて大多数の国々)が特定のトピックスを共有するとき、そこには決まって「協調」や「相互支援」を通して「世界」や「社会」を「救う」というスケールの大きい議論が必ずといって良いほど生まれるもの。中国から広がった(という説が濃厚な)今回のパンデミックが先進でだけでなく途上国も巻き込み、経済停滞や医療崩壊を引き起こしていることは事実であるし、それによって僕たちが確かに(空想かもしれないけれど)認識していた「日常」が永久的に失われるものがたりさえも現実味を帯びている。

今起きていることをマクロのスケールで捉えることは重要だろう。僕たち個々の生活は、複雑なネットワークを通してお互いに絡み合っているし、マクロの動きは個々のミクロの世界に必ず影響する。しかし、世界がビッグスケールの議論を繰り広げる中で、多くの人々が物理的に他との接触を減らし、広々としたオフィスから小さな部屋に生活の主軸を移していることは、この「スケール」という概念について考える大きなきっかけかもしれない。

クラクフで出会った「小さな世界」と盆栽のそれとをつなげながら、日々の思考をスケールダウンすることは、数ヶ月ほど前まで確かにあった(そして二度と戻らないかもしれない)「日常」で僕たちが見落としていた、とても大切なものに気がつくために欠かせない行為ではないだろうか。

ポーランド・クラクフにて

Masato Ushimaru

I draw, design, dote on antiques and think anthropologically. | Co-founder of @onesong.jp

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